NEW 2021,03,03 6年「いのちの積み木」 ~リモートによる講話~ 

宇都宮市にある浄土宗光琳寺の副住職 井上宏法様によるリモートによる授業を行いました。

題名は「いのちの積み木」です。

「いのち」について、みんなで考えていきました。

・今までは、そのもの自体を当たり前に思っていなかったけれど、だんだん知識や経験が増えていくと「当たり前」と思うようになってきます。

 例えば、電気がつくのは当たり前。水が出るのは当たり前。毎日家の人がご飯を作ってくれるのは当たり前。

・この当たり前のめがねを外してみると、・・・美しくきれいに見えます。当たり前のめがねを外してものごとを「深く考える」ことが大切。そうすることで感謝についても考えられるようになります。

 

 日頃の自分たちの行動を振り返ると、「その通り」と思えることがたくさん思い浮かびます。

次に、自分たちのご先祖様について。

・今まで、考えたことのないご先祖様たちが、この世にいなかったら、自分たちは存在していません。どんなに大昔の人でも、その人がいなかったら自分たちが消えてしまうのです。

それを積み木で例えて教えていただきました。

自分が一番上です。

「親、祖父母、曽祖父母、・・・。それぞれの人の名前を言えますか?」

「おじいじゃんとおばあちゃんまでかな…。」「親しかわからない…。」

思わず声が出ます。

「この積み木の下の人がいなかったら…。自分は、いない。」

 そして、自分の名前について。

「お家の人に何で自分は、この名前なのか、聞いてみよう。」

・名前は、生まれた瞬間にもらう一番短い手紙です。この子にはこういう風に育ってほしい、この子にはこういう人生を送ってほしいという願いが込められています。

・大人たちのみんなに対する願いと愛。自分の名前を知るということは、自分の生きていることを知るということになります。自分に付けられた名前は、自分の命に付けられた名前なのです。

「当たり前という眼鏡をしっかりはずして、深くよく考えてみることにより、いろんな感謝の気持ちもわいてきます。」

 

6年生の子どもたちにとって節目となるこの3月。

「いのち」を通して、自分という存在、自分の家族、先祖、そして「感謝」の気持ちについて改めて考えるきっかけとなりました。